【観劇感想】最後のドン・キホーテ THE LAST REMAKE of Don Quixote
脚本・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演:大倉孝二 咲妃みゆ 山西 惇 音尾琢真 矢崎 広 須賀健太 清水葉月 土屋佑壱 武谷公雄 浅野千鶴 王下貴司 遠山悠介 安井順平 菅原永二 犬山イヌコ 緒川たまき 高橋惠子
演奏:鈴木光介 向島ゆり子 伏見蛍/細井徳太郎 関根真理 関島岳郎
KAAT神奈川芸術劇場にて
2025/09/14(日)~2025/10/04(土)まで上演
その後、全国ツアー予定
≪富山≫オーバード・ホール
≪福岡≫J:COM北九州芸術劇場
≪大阪≫SkyシアターMBS
- 【あらすじ】
- 【感想の前に。客席設定がすごい】
- 【全体感想】
- 【重なり合う世界の層】
- 【ポップでライトな死生観】
- 【素晴らしい舞台美術、贅沢な生演奏】
- 【ヘンリー・クリンクル(ドン・キホーテ)】
- 【ローズ(ドルシネア姫)】
- 【劇団主宰アルビー(サンチョ・パンサ)】
- 【牧師(サンチョ・パンサ)】
- 【その他】
【あらすじ】
ある都会の一角。俳優と思わしき2人の男(安井順平・菅原永二)がドン・キホーテ役の代役を探している。
幕が開いて3週間。ドン・キホーテ役の俳優ヘンリー・クリンクル(大倉孝二)が自分をドン・キホーテだと思い込み、本番中に袖に引っ込んだまま姿を消してしまったのだ。楽屋の鏡前には置手紙。そこに書かれていたのは、「諸悪と闘うために遍歴の旅に出る」との言葉だった。
その頃、自身をドン・キホーテと思い込んだクリンクルは馬に乗り、牧師(山西惇)をサンチョ・パンサとして従えて、悪をこらしめ、世のあらゆる不正を正そうと、荒野を巡っている。
貧民街の応急救護所では今日も患者が、医者(音尾琢真)と看護師の治療を待っている。医者と牧師には、クリンクルの病に関して看護師のローズ(咲妃みゆ)にも言えない隠し事があるようだ。
なんとか『ドン・キホーテ』を再開しようと奔走してきた俳優たちが窮地に陥った時、劇場の売店の売り子(緒川たまき)に連れられた少年(須賀健太)が現れる。少年は「何かあった時は」とクリンクルから赤い玉を渡されていた。やがて、その玉が転がり出し、一行はそれを追いかけていく……。
ここまでパンフレットより引用。
【感想の前に。客席設定がすごい】
9月14日(日)初日観劇。初日チケットをとっての観劇は久しぶり。前評判なく劇に浸れる幸福感が堪らない。それと共に、「本当に3時間45分に納まるのか?」というある種の不安と、謎の期待感に胸を騒めかせながら、劇場へ。
劇場について一番初めに驚いたのは、客席の設定だ。
「最前列が2列目から」というのは知っていたが、1階最後列が19列目だと言うことは知らずに入場。私のチケットは19列。つまり、最後列だった。
しかし私の知っている限り、本来のKAATの最後列は25列目である。つまり、客席側に物凄い傾斜がつけられている。主観だが、AL1列目とほぼ同じ視線の高さだったと思われるので、ダンス公演時などに足元を見やすくするための客席設定(急勾配)がされていたのだと思う。
これによって、舞台床面に映し出されたプロジェクターの映像をしっかりと見ることができた。足元まで含めてKERA演出だよね~と、嬉しくなった。
【全体感想】
何が本当で、何が嘘か。
どこまでが虚構で、どこからが現実か。
果たして狂っているのはドン・キホーテ(クリンクル)か、周りの人々か、それとも劇を楽しむ我々か。
そもそもこれは、一体だれの夢なんだ?
面白かった。3時間45分があっという間に過ぎ去る。贅沢すぎる不条理ナンセンスコメディの渦に飲み込まれた。まさに必見の作品!!
3時間45分の旅の中で、すべてのストーリーや設定を取りこぼしなく着いていく……なんてことは勿論できず。爽やかなくらい置き去りになった。しかし、「分かったつもり」でこの芝居を観てしまうこと自体が、そもそも解釈の誤りなのでは?と自問自答は続く。されど、一方的でも客は語るのだ。
この思いを誰かに共有するために。
【重なり合う世界の層】
ストーリーは、クリンクルがドン・キホーテとして見ている夢の世界と、劇団員・売店の売り子・クリンクルの家族がいる現実世界が入り乱れながら進む。
世界観や時代が混在しているため、ひどく混乱するが、登場する物事が現実に即しているのかはそれほど重要ではないのだろう。きっと。たぶん。
世界の層が、複数にわたって重なりあっている。
➀クリンクルがドン・キホーテとして見ている夢の世界(及び、看護師ローズたちの現実世界) ②劇団員・売店の売り子・クリンクルの家族がいる現実世界 ③看護師のローズが見ている夢の世界 ④劇団主宰のアルビーがみている夢の世界
最低でもこれくらいはある気がしている。本当のところはどうなんだろうか。気になる。舞台装置の複数枚の重なった布も、これを暗示していたのではないだろうか。
【ポップでライトな死生観】
劇中、驚くほど軽快に人が死んでいく。久しぶりに、こんなにポップでライトな人が死ぬ場面をみた。「人の死」というものの描き方が軽快。人間は誰しもドラマティックに荘厳にに死んでいくかと問われれば、そうではない。身近にある簡単な死に際。最後にクリンクルが死の世界に旅立ったときも、かなりポップな演出がされている。劇中とおして、人の死が重苦しく描かれないのも、最後に繋げるためなのだろうか。
【素晴らしい舞台美術、贅沢な生演奏】
中央に配置された巨大な風車に、何枚も折り重なるように吊られた布。この中央の装置が回転することで舞台転換が行われたり、カーテンのように縛ったり広げたりすることで場が変わったり、幕そのものに映像が投影されたり。使い方が多彩。
前述とおり布の重なりは「複数の世界のレイヤード」を暗示しているのではないかと思った。ドン・キホーテが風車を巨人だと思うという原作リスペクトが感じられて、それも良い。
プロジェクションマッピングの投影も素晴らしかった。この演出を観るためだけに、もう一度観劇したいくらい。とくに、雨のシーンは足元で雨粒の跳ね返る水紋まで細かく表現されていて、その解像度と没入感たるや他の追随を許さず。
紗幕への投影では、ロンドン(勝手にロンドンだと捉えている)の街並みがよく表現されていた。セットなしであのリアル感は凄すぎる。圧倒的。人間の動き、舞台上にあるベンチなどの道具との調和もお見事。
音楽の生演奏がより一層素晴らしい観劇体験を増幅させた。KERA演出と言えば、生演奏と映像投影の素敵さだと思っている節があるので、今回も大変満足。演奏者も見えない場所で音を奏でるのではなく、常に見えている場所、時には舞台中央で演奏していることによって、まさしく演者のひとりとして、舞台転換の一部として、音楽劇としての核をなしていた。最高だった。
【ヘンリー・クリンクル(ドン・キホーテ)】
演:大倉孝二。
元々は金持ちの家の主人でありながら、家族と多額の借金を残して失踪。現在は小劇団で主演のドン・キホーテを務めるヘンリー・クリンクル。彼が劇中だけでなく、自分をドン・キホーテだと思い込み、旅に出ることで物語は始まる。
気の狂った老人なのに、どこか恍けた可愛らしさとエネルギーに溢れるドン・キホーテ。そして、現実世界の硬質でグレーがかった重苦しいクリンクル氏の対比が素晴らしい。
ドン・キホーテを演じる自分をドン・キホーテだと思い込んだ男:クリンクル、だと思い込んでいる男である大倉孝二を見た気分にもなった。大倉さんの演技がナンセンスコメディにハマりすぎている。抜群にうまい。好きだなぁ。
クリンクルに身体に詰まっていた宝石(に見えるガラス玉)は、一体なんの暗示だったのだろう。そして、少年に渡した赤い玉とは一体なんだったのだろう。
この辺りは、さらに考えて、自分なりの答えがでたら追記する予定だ。
【ローズ(ドルシネア姫)】
演:咲妃みゆ。
貧民街の応急救護所に勤めている看護師。病院に運び込まれたクリンクルを心配し、ときに自作のティアラをかぶってドン・キホーテ憧れのドルシネア姫を演じてくれる。父親と瓜二つのクリンクルに親愛の気持ちを抱いている。
咲妃さんの透明感と芯の強さを感じさせる芝居が素晴らしい。元宝塚の女優さんで、歌も抜群に上手い。そして、コメディセンスも光る。さらに美しさまで兼ね備えている。とても素敵な方だった。
ローズがクリンクル邸で、精神科医から「娼婦」と呼ばれていたのが気になった。現実世界で起きているであろう戦争について今作ではあまり掘り下げられていないが、言葉のあやではなく、ローズは現実世界では娼婦だったのかもしれない。ドン・キホーテから見えている救護所と、現実世界の救護所は、その存在にズレが生じている。
最後のシーンで、ローズがクリンクルに「あなたはドン・キホーテです」と夢の世界に引き戻したこともそうであれば納得できる。ローズもまた、夢をみていたのだ。
ローズはクリンクルからドルシネア姫や、救護所の女中として扱われることで救われていた。だから、現実世界にとどまっては居られないのではないのだろう。
【劇団主宰アルビー(サンチョ・パンサ)】
演:安井順平。
ドン・キホーテの主演に逃げられ、当てにしていた政府からの助成金は貰えず、ギャラのために借金を抱えることになり、隣人の放火によって自宅や荷物は消失し、自らの言葉によって恋人(ドリー)にも見放された男。
こうして羅列すると、本当に不運で可哀そうな男である。
とにかく安井さんは声がいい。とても聞き取りやすく、耳に入ってきやすい声質だと感じた。静けさの中に秘めたる熱量を感じさせる。劇団主宰であり、演出家であり、サンチョ・パンサをつとめるアルビーの負担たるや凄まじく、その気持ちは推して知るべし。苛立ちや焦り、逃げ出したい気持ちが侵食するように伝わってきて、共感。
赤い玉を追ってドン・キホーテの夢の世界(クリンクルが見ている世界)に入ってきてしまった劇団一行。階段の下の世界で自らをドン・キホーテと称するクリンクルと再会する。その後、降りてきたはずの階段が消えたのは、アルビーの力か。
恐らく、公演中止になったドン・キホーテの物語をこの世界で実現できてしまうこと、本当に自分をドン・キホーテと思い込んだ男の活劇を追いかけたいという欲求によって、アルビーの望む夢の層ができたのではないかと考察。
【牧師(サンチョ・パンサ)】
演:山西惇。
冒頭、ドン・キホーテと旅をしているサンチョ・パンサ。しかし、その正体は、クリンクルの病気を利用しようとしている悪徳牧師。
初期はドン・キホーテ(クリンクル)の身体に詰まった宝石を手に入れるために、サンチョ・パンサとして見えもしない夢の世界に付き従っていた。しかし、牧師はドン・キホーテの信念に少しずつ感化されて、変化していく。
最終的には、独自の騎士道のために毒の盛られた盃を飲み干そうとするドン・キホーテをかばって盃を飲み干し、死にゆく。ここ、本当にいい顔してるんだ。
山西さんのこの役、素晴らしいな。演技が良いのはもちろんだが、今作の中でもかなり上位に入る、分かりやすく素敵な役ではないだろうか。また、ポップに人が死んでいく本作において、死に関するシーンがドラマティックに彩られている唯一のキャラクターである点にも着目したい。
現実世界のアルビーから引き継いだサンチョ・パンサを、さらに夢の世界にやってきたアルビーに引き継いでいく。サンチョ・パンサが引き継がれていく設定は面白い。
その他にも山西さんが演じる、クリンクルの義理の息子(娘の夫)である精神科医、橋の番人など印象的だった。
【その他】
他にも語りたいこと、言いたいこと、書き表したいことが山のようにある。しかし、全て書くと感想ブログが巻物のようになってしまいそうだ。
一部抜粋でお送りする。
〇冒頭の農夫(土屋佑壱)と農夫の妻(犬山イヌコ)のシーンは秀逸。
片腕がもげている農夫と、もげた片腕をもつ妻。「農業機械で腕が切れた。病院へ連れて行ってくれ」と訴え苦しむ夫と、「腕から、夫がとれた」と言う妻。ドン・キホーテ、サンチョ、農夫の妻の頓珍漢なやり取りが面白い。
農夫がだんだんと衰弱して小さく小さくなり、脂汗をかいている。その傍らでのんきなやり取りが繰り広げられている。非現実的な光景で、ドン・キホーテの世界観に入り込めた。
〇クリンクルの代役として呼ばれたエドワード(土屋佑壱)のシーン
定まらない視点、必死で思い出そうとするが全く出てこないセリフたち、次第に自分が何をやらされているのか不安になってくる様子。それがコメディシーンとして成立している。
高齢の男性で、それなりのギャラで引き受けてくれる初心者ではない役者として呼ばれエドワード。とはいえ、若いころに一度芝居にでたきりで、専任の役者ではない。年齢故か、経験値故か、セリフが覚えられずプロンプターに頼りっぱなしになっている。それが、彼のなけなしのプライドを傷つけたのだろう。孫娘と去っていく姿が切なかった。この1シーンしか出てこないキャラクターだが、個人的にとても印象に残っている。
他にも女囚のシーン、鏡の騎士たち、飛行機のシーン、橋の番人との問答…と、思い出せる限りでも印象的すぎる場面が山のようである。
ああ、もう一度観たかった。
【観劇感想】ダイアナ 〜それぞれのダイアナ〜
脚本・演出:ブラジリィー・アン・山田(劇団ブラジル)
企画・プロデュース:三宅優(Zu々)
横浜赤レンガ倉庫1号館にて
2025/09/03(水)~09/15(月・祝)まで
出演:
相葉裕樹 北村諒 鯨井康介 佐藤絵里佳 瀬戸啓太 高柳明音 谷口賢志 平田裕香 溝口琢矢 山岸門人(50音順)
【あらすじ】
幼馴染で今をときめく売れっ子俳優である優を、廃校になった中学校の体育館に呼び出した賢一。賢一は優に「大切な話」があるらしい。
なかなか賢一が本題を切り出せない中、優が結婚することが判明。
学校の前で待たせていた婚約者(柳田翔子)を賢一に紹介することになったが、翔子は賢一のバックれた元カノだった?!
3人それぞれが抱えた「言えない秘密」とは何なのか。
【全体感想】
『暗転なし、逃げ場なしの3人芝居70分一本勝負!』
公式ホームページの煽り文句に心惹かれて、観劇へ。
大道具一切なしの素舞台で、小道具はフラフープのみ(他のチームはバドミントンだったらしい)音響・照明も限界までそぎ落とされている。マイクなしの生発声。
実際は煽り文句以上に、シンプルでソリッド。
あるのは役者の肉体と、その技巧のみ。これがまた非常に面白い。正直、興奮した。
赤レンガ倉庫1号館の特殊な形状もマッチしていた。
中央に正方形(黒い床面)の舞台、背面はレンガの壁面と出捌け口、背面以外の周囲3面は全て客席。つまり、コの字型。
3方向から客に見つめられる形。役者たちが舞台上を飛び回るように、駆け回るように芝居をしていく。躍動感と没入感。
数多く観劇したわけではないが、Zu々の作品は心惹かれる何かがある。美しい世界観と共存する、人間臭さと業のような何か。
満月・半月・三日月・新月の4つのチームで、3つのエンディングがある形式。
三日月チーム(北村・鯨井・佐藤)と、半月チーム(鯨井・相葉・佐藤)の2チームを観劇した。その中でも「優」という存在がたまらなくツボだった。各チームの「優」を中心に感想をまとめる。
【三日月チーム】
役から受けた印象は以下の通り。
〇北村さんの賢一:包み込まれたい系。でも甘え下手な感じが出ている。
〇鯨井さんの優:典型的なイケイケ若手俳優。とにかく強くあろうと虚勢をはるタイプ。シャツもド派手な武装っぽい。
〇佐藤さんの翔子:長身で個性派モデル系に見える。それなのに、お高くとまった感じが全くない。隠しきれない下町感。
先にこちらを観劇したので、これが親(スタンダード)として受け取っている。キャストのバランスに優れたチームだと感じた。
鯨井さん演じる優が本当に良かった。鯨井さんが半月チームでは賢一を演じる…と聞いて、大千穐楽の当日券購入を決めたくらい、素晴らしかった。
前半は売れ始めた30代前半の俳優のイケイケ感がよく表れていた。そこはかとなく漂う調子に乗ってはいるけれど、乗り切れていない感じが絶妙。
後半の自らの過ちを告白するシーンは絶品だった。
自らを守っていた鎧がめくれあがって、その内側の繊細な部分が露出する。身を守るように床に小さく丸くなる。この時の虚ろを見つめる(少々瞳孔が開き気味な)瞳が堪らなくいい。
【半月チーム】
三日月チームと比較すると、鯨井さんが役を賢一にチェンジ、相葉さんがイン。
役の印象は以下のように感じた。
〇鯨井さんの賢一:尽くしたい系。相手を甘やかすことで安心感を得るタイプ。
〇相葉さんの優:爽やかで世間からの好感度高め。ベージュのセットアップが好青年らしさを醸しているが、隠しきれない変人感。
〇佐藤さんの翔子:三日月チームと外見的な特徴は大きく変化していないが、優に対しての慈愛が半月チーム版のが強く感じる。
もともとの鯨井さん、相葉さんの20年に及ぶ親友?関係ゆえか(大千穐楽カーテンコールより)、かなり陽気な幼馴染たち。表情の豊かさもほぼ顔芸状態。息もぴったり。
深夜ドラマの再現シーン(側溝に潜んでいる優と目が合うやつ)は、相葉さんは何度も劇中で繰り返していた。お気に入りなのかもしれないが、「鯨井さんが絶対に拾ってくれる」という絶対の安心があるからできる芸当。
2人が本当に幼馴染に見える。
本当に3年も連絡とってなかったのか?賢一と優。
前半パートが幼馴染の仲の良さを見せつけられたぶんだけ、後半パートで賢一とまこっちゃんの関係が分かってからの落差が効いている。
優の崩れっぷりが素晴らしい。「理解できない」「理解したくない」を全力で表現している。翔子と賢一が責め合っているときも、その後ろの優が「どうしたらいいのか」を身悶えながら考えているのが、堪らない。
その後も鬼気迫る顔が良い。美しい人が、形相を歪ませながら必死に藻掻くさまが良い。
【現在、配信映像を販売中】
気になった方は、先日から舞台映像を配信しているので、是非観てほしい。
1つの配信チケットで、正面、右、左の全アングルからの映像が見られるのはかなりお得ではないだろうか。
全組み合わせを、全アングルから観ても1万円を切るのは安い。
【観劇感想】星の降る時
パルコ・プロデュース2025 【星の降る時】
脚本:ベス・スティール
翻訳:小田島則子
演出:栗山民也
≪あらすじ≫
※以下、公式より引用
ロンドン近郊のかつて栄えた炭鉱町に生まれ育った三人娘。
今では二人の娘(リアン、セアラ)を持ち、相変わらず倉庫勤務の長女:ヘーゼル(江口のりこ)と、町に嫌気をさして実家を遠く離れていた次女:マギー(那須凜)、そしてポーランド移民と恋に落ちた三女:シルヴィア(三浦透子)。今日は三女の結婚式。
母親代わりの叔母:キャロル(秋山菜津子)と共に、パーティの準備をしている。早くに妻を亡くしたが、三姉妹を守り続けてきた父親:トニー(段田安則)、その兄とは長年に渡る絶縁状態の叔父:ピート(八十田勇一)、移民に職を奪われ失業状態の長女の夫:ジョン(近藤公園)も久しぶりに顔を合わせ、三女の夫:マレク(山崎大輝)を迎えて祝いの宴が催されるが…
人生で最も幸せなはずの一日が、問題をはらんだ家族間の扉を開けてしまうことになり…果たして家族は再び向き合い、新しい朝を迎えることができるのか…
≪全体感想≫
生々しく、重い。そして、苦みがある。
恒星の衝突、家族間・姉妹間の衝突、移民と現地民の衝突、そして肉体同士の衝突。衝突によって何が消え去り、何が生まれるのか。たとえ家族であっても、太陽を回る惑星みたいに、近くて遠い。それぞれのペースで人生は回る。
誰しもが感じたことがある焦燥。
すごくリアルな一つの家族を覗き見ている感覚。2階最前列で観劇したため、余計にそう感じたのかもしれない。いうなれば神の眺望。
三姉妹の会話のリアルさ。
周りから見ると「何がそんなに?」と思うような話題で笑い転げたり、その間に毒があるような刺すような一言が挟まれたり、すぐに別の話題にすり替わったり、誰かの悪口でまた盛り上がったり。コロコロ、コロコロと、姦しく。
どうしようもなく、どこにでもいる普通の姉妹の会話だった。だからこそ結末が、ざらりと、苦い。
そして、ヘーゼルの娘:リアン(西田ひらり)
思春期の少女の世界を壊して、終わらせてしまった。あの感じ。
あの絶望の淵に立った姿と、知らないままで居られたはずの彼是(あれこれ)を知ってしまった哀しさ。そして訪れる、どうしようもない破滅思考。今まで信じてきた世界が崩れ去ったあとに、リアンは何を見るのか。
たまらない気持ちにさせられた。
≪個別感想:長女ヘーゼル≫
江口のりこさん演じるヘーゼル。
仕切りたがりな長女。自分でも気が付かない意識下に差別主義が隠されている。
平凡で代り映えしない日常でも、家族で過ごす今の時間を愛している。夫のジョンのことも、愛している。たとえ、倦怠期(セックスレス)だとしても。
今は落ち着いたが、昔はもっとアグレッシブで挑戦的だった様子が見て取れる。
変わらない生活に「疲れている」が、その疲れに嘘がない。
リアンとマレクの間に「何かあった」と知ったときの嫌悪感。烈火のごとき怒り。母親の激情のリアルさ、凄み。
でもそれ以上に、マギーとジョンの間に「何かあった」ことを察したときのヘーゼルの突き詰めてくるあの静かな虚ろが怖くてたまらなかった。
≪個別感想:次女マギー≫
那須凜さん演じるマギー。
奔放で華やかでチャーミング。自由で、生きる力に満ち溢れている。数多の男たちが欲しがるのもわかる、愛らしさ。
場面にマギーがいると、視線が自然と集まっていく。これは那須さん自身の魅力かもしれないが。
でもその反面、すごく繊細で気遣い屋でもある。空気が悪くなりかけたとき、いつもそこに風穴をあけたり、家族の調整役を担っていたのはマギーだ。きっと幼いころからそうだったのだと思う。
いうなれば、空気を読む力が人一倍、強い。
だからこそ、マギーは最悪を免れるために、地元を離れる決断をするしかなかった。家族を、壊さないために。
パーティーの場面の、真っ赤なドレスがとても那須さんに似合う。
あまりに素敵で釘付けだった。
※別作品でも那須さんのドレス姿を拝見したことがあるが、本当に華がある。
≪個別感想:三女シルヴィア≫
三浦さん演じるシルヴィア。
姉二人と比較すると、自己主張が弱くも感じられる控えめなシルヴィア。でもその実、一番頑固者で、一番変わり者なのは、おそらく彼女。
温厚そうにみえて、その実、激情家。アンバランスな魅力。
「この幸せな瞬間で時間が止まればいいのに」
自分とマレクの結婚式という幸せのさなかに、そう祈ってしまう不安定さ。どこか家族の不穏を、シルヴィアは察していたのかもしれない。
夫:リアンと姪:マレクがキスをした。その事情を知ったとき。若くて優しい叔母から、憎悪に濡れた一人の女へと変貌していくシルヴィアの姿が生々しく、痛々しく、美しかった。
【観劇感想】少女仮面
オフィス3〇〇【少女仮面】
脚本:唐十郎
演出・主演:渡辺えり
下北沢ザ・スズナリにて
2025/06/11(水)~06/22(日)まで
唐十郎追悼特別公演。
唐十郎作品は、【ビニールの城】を花園神社の赤テントで観て以来。
観劇したのは6月21日(土)のマチネ公演、ソワレ公演。前売りチケットは桟敷席を含めて全席soldout。当日券もかなりの売れ行きで、通路席も満杯、果ては立ち見もでていた。小さくも濃厚な空間であるスズナリの客席に、熱気が渦巻く。
甘粕大尉役の日替わりゲスト俳優は、安奈淳さん。なんと50年ぶりの男役。安奈淳さんの熱心なファンも駆けつけていたようだ(カテコより)
なお、貝役はトリプルキャスト。マチネは鈴木楓加さん、ソワレは夢乃さん。見られなかったもう一方は、黒島結菜さん。
【あらすじ】
物語の舞台は、東京都内の地下喫茶「肉体」
喫茶「肉体」の経営者は、伝説の男役スター・春日野八千代(渡辺えり)春日野は、「嵐が丘」のヒースクリフ役の稽古に明け暮れ、相手役のキャサリンの登場を待っていた。
そして、春日野に憧れる少女・緑ヶ丘貝(鈴木楓加・夢乃・黒島結菜)。まだ何者でもない自称16歳の少女である貝が、老婆(川村毅)とともに喫茶「肉体」を訪れたことで、物語は走り出す。
歌い踊るボーイ主任(土屋佑壱)とボーイたち(岡野一平・宮下浩行・新内多賀太夫)、愛に苦悩する腹話術師(大鶴佐助)とその人形(福本雄樹)、水飲み男(吉田裕貴)は水道を求めて彷徨い歩く。
存在と非存在。肉体と精神。主体と従体。
春日野は、与えつくし見失った己の肉体を再び取り戻すことができるのか。
【全体感想】
いや、面白かった。観劇直後は、「すごいものをみた」とただただ圧倒されたが、後になって振り返ると何度噛んでも味がする素晴らしい芝居だった。
つい唐十郎作品、と聞くと「難しいのでは?」と身構えてしまうところがあるが、渡辺えりさんの新演出によって、ストレートに飲み込むことができた。
伝説の男役スター・春日野八千代という存在が抱える無力感と絶望。己のファンである無垢なる少女たちに、求められるままに全てを捧げ、分け与えた春日野は、いつの間にか己の肉体すらも見失ってしまった。
全てを与えつくした後に残されたのは、若さを失い醜くなった己のみ。
そのうえ、与えたつもりだった無垢なる少女たちは「もらっていない」と素気無い。その絶望は、いかほどか。
無垢なる少女たちが見ていたのは、『春日野八千代』という存在ではなく、『白薔薇のプリンス』という非存在なのだから。
そこに訪れた貝は、春日野には救いのようにみえただろう。どこまでも純粋に、憧れと期待を込めて春日野に接する貝。その純粋さ故に、春日野はさらに追い詰められていく訳だが。
そして、その貝にどうしても己のすべてを与えようとしてしまう春日野。
「13回結婚し、13回堕胎し、13回離婚している」永遠の処女でなくてはならない春日野の、有体にいってしまえば親鳥のような母性のせいなのだろうか。
押さえつけてきた母性と女性性、そして、男役スターとしての春日野が、グチャグチャに混ざり合って物語は突き進む。
過去と現在、東京の喫茶「肉体」、雪の満州病院、嵐が丘、風呂蓋上の舞台、宝塚の大階段。
場面は様々に展開し、ヴァイオリンとチェロ、三味線、ギター、アコーディオンなど楽器の生演奏がそこに勢いと華を足してくれる。
素晴らしい観劇体験になった。
※以下追記※
しかし、春日野八千代はやはり妄想なのだろう。何度か記憶を咀嚼すると、春日野八千代に憧れた無垢なる少女の成れの果てが『今作の春日野八千代』であるように感じる。
だからこそボーイ主任による演出が、春日野には必要だった。蝋燭、扇風機で飛ばされる紙吹雪などが登場する、アナログな演出効果散見されるのはボーイ主任の演出だ。
本来の甘粕大尉はボーイの役の一つでしかない。(今作では宮下さん)ボーイは主任に従って動いている。つまり、甘粕大尉との思い出のシーンごと、春日野を伝説の男役スターから降りられないようにするための、ボーイ主任による演出だったのだろう。
観劇した回は、甘粕大尉がゲスト俳優による客演だったので、劇中感が薄れてしまった気がする。(これはこれで素敵だったが)
【個別感想・腹話術師(大鶴佐助)と人形(福本雄樹)】
腹話術師と人形は、今作の中でも非常に印象的。
大鶴さんの腹話術師が、人形への愛、マリアへの愛を語るときの熱の入り方が、何というか湿度が高くて、粘度を感じる。良い意味で気持ち悪さがあって良い。とくに目が、とても色気のある目線運びをする方だった。
福本さんはさすが唐組役者。世界の作り込み、周囲の引き摺り方が凄い。本当に腹話術人形にしか見えない。いったいいつ瞬きしてるかのと見つめていたら、目が合ってびっくりした。作り物かと疑うほどに、人形。
この二役が主体と従体を入れ替えていく。
人は人形に、人形は人に。目まぐるしく立場が変わる。
二人のタンゴは必見。
【個別感想・ボーイ主任(土屋佑壱)】
暴力的で高圧的。店奥から登場した時点で、絶対にヤバい人だと思った。暴れつくしたあとに、几帳面に櫛で髪を整える仕草にグッときた。
喫茶「肉体」のボーイたちにダンスと歌をスパルタに叩き込んでいく様子は、あの頃の演出家のメタファーか。経営者である春日野には絶対服従し、付き従う忠実な部下である。
蝋燭や紙吹雪など春日野を『春日野八千代』にするための演出を惜しまない。地上で地下鉄工事が始まれば、火を放って喫茶「肉体」をだれも出られない、だれも入ってこない場所にしてしまう。そこまでして、春日野を喫茶「肉体」に押し込めておきたいのは、何故だろうか。
冒頭の腹話術師と人形を追い詰める芝居が絶品。ヘラヘラと笑いながら暴力を振るう恐怖の中心にいるのに、重くなりすぎず。その後のシーンでもどこか軽やかで閉塞感を感じさせないのは土屋さんのキャラクターによるものか?
手足が長く、蹴り上げた足が美しい。机の天板になんの負荷も感じさせず、スッと足が乗ったときは息を呑んだ。あまりに美しかった。
【個別感想・春日野八千代(渡辺えり)】
渡辺えりさん、とても歌が上手い。響きが豊かで魅力的な声。痺れる。
伝説の男役トップスターとして喫茶「肉体」に君臨していた春日野が、貝と稽古を進めるたびにどんどん小さくなっていく。人間臭く、弱くなっていく。あれは、やはり貝に春日野自体を譲り渡していっていると感じた。
伝説の男役トップスターの皮が剥がれ落ち、甘粕大尉に恋していた普通の少女だったころが剥き出しになっていく。水飲み男に胸元を暴かれた瞬間から、女を思い出し、再び股から血が流れ、生々しく女になる春日野八千代。必死に床に流れた血をかき集める様が滑稽でありながらも、切ない。
渡辺えりさんは、今作、演出家であり、主演であり、主催者でもある。開演前も終演直後もずっと動き回り、誰よりも観客を楽しませようとしている様子だった。
まさに『愛の人』そして、『パワーの人』である。
素晴らしい芝居をありがとうございました。
感謝の気持ちで、Tシャツとトートバッグとパンフレット購入しました。いい品です。